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尖閣問題 
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今、何かと問題になっている尖閣諸島。

小泉政権下2004年3月にも中国人活動家7人が不法上陸して少し騒ぎになったことがありました(この時日本では、事実だけを簡単に報道した、って感じでしたが、この問題、中国では、連日、反日的記事を見ない日はないほどの盛り上がりだったそうで、日中両国間の国民意識には相当な温度差があったみたいです)。その際、尖閣問題の歴史について私なりに調べ当時の日記に記したことがありましたが、再確認の意味で今回またそれをコピーしてみることにしました。


石垣島から150km、台湾からは170kmの距離にある、魚釣島(周囲12km、面積3,8km²)を一番大とする5つの島(他、南小島、北小島、久場島今回の衝突事件はこの九場島沖でありました)、大正島)と、3つの岩礁からなる島々の総称で、全面積合わせても6,3km²しかありません。正式な住所は“沖縄県石垣島市宇登野城”。

そもそも、話題の中心のこの魚釣島(中国名・釣魚台)、中国では明・清の両時代、琉球で新しい王が即位する時に、中国の皇帝がそれを承認したという意味で、冠や服を与えるため、《冊封使》(さっぽうし)という使節を派遣していましたが、この《冊封使》が中国の福州から琉球の那覇の間を往来する際、必ずこの魚釣島を航海の目印としていました。

そういう経緯から、魚釣島(釣魚台)の名が中国の文献に、一番古く出てくるみたいなのです。つまり、?魚釣島は中国人が発見した。しかも、?地質学的に尖閣諸島は琉球列島上ではなく中国大陸の大陸棚に属している - 以上のような理由を以って、中国は尖閣諸島を中国の領土と主張したいらしいのです。

しかし、20年から30年に1度の《冊封使》に比べ、海の民・琉球の人達は、その何10倍、何百倍もの回数、魚釣島を目印に、大陸・東南アジアの国々を往来していたでしょうから、文献の記述にこそ遅れはとっているものの、中国の人より発見が遅かったと断定するにはとても無理があります。

それに、中国の大陸棚に属しているから領土だというのも、これまたナンセンス。それなら、フィリピン・ベトナム・マレーシア等と今、領有権問題を争っている南沙諸島から早く手を退け、って話です。南沙諸島は東南アジアの大陸棚上にあって、中国大陸とはなんら関係ないのですから。

尖閣諸島問題がここまで騒がれているのに、なぜ日本の政府とマスコミは、もっと詳しくこの問題なり、歴史なりを説明・報道してくれないのか、私は不思議でならないのですが、私なりに少し調べてみましたら、とても面白い事実を発見できました。

なんと、無人島だとばかり思っていたこの魚釣島、数十年もの間、人がここで働いていた期間があったのです。

琉球藩が沖縄県となった1879年直後に、福岡県八女出身の古賀辰四郎という資本家がさっそく那覇に移り住み、沖縄近海の海産物の採取、輸出の業をはじめていたのですが、1885年、古賀氏は「久場島」(&釣魚島)に航して、ここに産卵期のアホウ鳥が群がることを発見し、その羽毛を採取して大いにもうけることを思いつきます。彼は那覇に帰って、早速、その事業のための土地貸与を沖縄県庁に願い出ました。この古賀氏の要請を受け、内務省は先ず、沖縄県庁にこの島の調査を内々に命じ(日本政府は尖閣諸島の領有状況を1885年から1895年まで調査し、世界情勢を考慮したうえで隣国の清国など、いずれの国にも属していないことを慎重に確認したうえで閣議で決定し沖縄県に編入しました)その後古賀氏に、大正島を除く4島の30年間無償貸与を許可します。古賀氏は、これらの島々に多額の資本を投下し、棧橋、船着場、貯水場などを建設し、また、海鳥の保護、植林、実験栽培などを行ない、開拓事業を発展させました。その後、子息である古賀善次郎氏が、父の開拓事業を引き継ぎ、魚釣島と南小島でカツオブシ、海鳥の剥製などの製造を行なっていました。特に鰹節の製造は島の基幹産業となり、最盛期、同島には99戸、248人もの日本人が暮らしていたそうです。

昭和元年(1926年)、古賀氏に無料で貸与していたこれらの国有地4島の貸与期限が切れ、その後6年間は1年毎の有料貸与に切り替わりましたが、1932年、古賀氏が これら4島の払い下げを申請し、認められて有料(当時の価格で1万5千円“現在価格・約2500万円”)で払い下げられています。

その後1940年から、尖閣諸島はまた無人になるのですが、日清戦争が始まる10年も前から、尖閣諸島は古賀氏による実効支配が行われていたのです。

尖閣諸島の大正島を除く4島は、れっきとした民有地であり、古賀辰四郎氏の息子、善次郎氏に子供がなかった為尖閣諸島の相続問題が発生し、その際、「自然破壊をしない」という条件で、1970年代に知人であった埼玉県大宮市在住の結婚式場経営者・栗原国起氏が買い取り(約4600万円)今も私有地として所有されています。

現在は、民有地となっている魚釣島、南小島、北小島、久場島の4島を、日本政府が年間約3000万円で所有者から借り上げ実質的には政府が<賃貸地権者>となっている、という形になっているみたいです。

昭和43年(1968年)の、日韓中合同の海底学術調査で、尖閣諸島の海底に、石油資源が存在するのが判り、2年後、中国・台湾の2国がそれぞれ、尖閣諸島の領有権を公式に発表しました。

絶海の孤島で、それまで航海の道標以外価値のなかった島が、一躍宝の山へと変身したわけですが、当初、1000億バレル(世界第2位の産油国・イラクに匹敵)を超すかと言われていた“宝の山”もその後の調査から、390、100、と、だんだんクールダウンしていき、最新の調査では、32億バレルといわれるまでになりました。

こういう現状で、なぜ今、尖閣諸島なのか?、と考えてみますと、埋蔵している海底油田よりも、国家意識の高揚、或いは、軍事的位置の重要性が問題なのかも知れません。

或る意味、海底油田の利権争いよりも、もっと、きな臭い様な感じさへします。

 

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