スポンサーサイト 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
達磨(ダルマ)と武術と少林寺 
daruma_kyousai.jpg 河鍋暁斎・達磨図


一般にはあまり知られていないかもしれませんが、有名な・崇山(すうざん)少林寺の様々な武術は、“ダルマさん”の愛称で親しまれているあの達磨大師がルーツだといわれています。

6世紀前半、隋の国が興る直前の 中国にまだ南北幾つかの王朝が並立していた時代(中国南北朝時代とか六朝時代と呼ばれています)、インドから一人の僧が中国に本当のお釈迦さまの教えを伝えようと渡ってきます。その頃もう既に仏教は中国に伝わっておりましたが、経典の解読や念仏を唱えることだけに明け暮れ寺院の威容を競ういわば学問仏教で、ただただ“自身の内なる仏に覚醒する”という釈迦の説いた仏教とは随分かけ離れたものになっていたのです。

その僧の名前は達磨(ダルマ)! 南インド香至国の第3王子でありましたが、跡目争いに嫌気が差し、同じインドの王子でありながら出家して仏教を開いた釈迦に倣い、同じ道を歩んだのでした。(釈迦より1000年ほど後の人です)

海路広東に上陸し、各地を転々と布教した後、晩年になって河南省・崇山少林寺(洛陽から南東へ80kmほど)に至り、洞窟の壁に向かい9年間座禅を組み続けて悟りに達したといわれています。
悟りは言葉や文字を理解することでは得られない次元にあるとして、自分の内奥が仏であることを忘れて経典や他人の中に仏を捜しまわることがかえって仏道成就の妨げになる危うさも持つと説き、坐禅によって禅定の境地を高めていくことでそこに到達できるとするー『禅宗』の開祖となりました。
“面壁九年”― 有名な起き上がりこぼしの“ダルマ人形”はこの座り続けた姿を表したものですが、
座り続けたあまり手足が萎えて無くなった等の俗説も同時に生みました。でも本当は、鍛えられた
達磨の肉体と精神の両方があったからこそできたことだったのです。南インドの王子であった達磨は武術にも大変秀でていたと言われています。当時は盗賊や異教徒たちを倒伏しながらの過酷な布教の旅だったのです。

当時の少林寺・修行僧たちが体力が無くて精神を鍛えることが出来ないことを達磨は嘆き、「先ず身体を鍛えるべし」として『易筋経』・『洗髄経』という二つの鍛練法を授けました。その後秘法とされた『洗髄経』は失伝してしまいましたが、残った『易筋経』(筋肉の質を変える教え)を元にして今の少林拳に繋がったといわれています。
 

秘密にする

トラックバックURL
http://tougegama.blog119.fc2.com/tb.php/48-488599ff
..

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。