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定窯 
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暫く大阪に行っておりました。
20日木曜日は生憎の雨でしたが、久しぶりに中之島にある東洋陶磁美術館を訪ねました。
学生時代から昔はよく通った美術館。

今丁度、中国・“定窯(ていよう)”の企画展をやっています。

元代に廃窯してから長らく謎となっていたその窯址ですが、1934年、中国の陶磁研究者・葉麟趾によって河北省曲陽県澗磁村一帯にその窯址があることが発見され、1941年には日本の小山冨士夫(高名な陶磁研究家、後に陶芸家)も現地調査したことは有名です。その後中国の考古学者&陶磁学者たちによって発掘調査が行われ、特に近年2009年9月から2010年1月にかけて実施された本格的発掘によって、定窯の分期・編年研究や焼成技術の変遷がやっと明らかになりつつあるようです。その時の極めて重要な意義を持つ重大発見の出土品66点が、今回日本で初めて展示されています。(23日まで


五代より宋、金代にわたって栄えた河北省の名窯で、黒釉、柿釉などのものもありますが、“定窯”といえばなんといっても薄手の白磁が有名です。

定窯は本来民窯なのですが、宋の朝廷が最初使った官用磁器は定窯のものでした。北宋(960年~1127年)ができた創成期&早期には、官窯はまだ出来ていなかったのです。4、5年の間はここの磁器が朝廷の官用磁器として使われたといわれています。後に河南省・汝州に汝官窯、首都・開封(かいほう)の城内に北宋官窯という御用窯が作られ、官用磁器の座は後のそれら官窯にゆずりますが、地域を越えてその人気と評価は高く、後に北宋を滅ぼした金(女真族)の宮廷用器としても使われました。

元々“定窯”は唐代中期に始まり中国古代の定州一帯で生産された磁器産地でしたが、なかでも宋代になるとその窯業技術は革命的に進歩し燃料は薪から石炭に変わり、酸化炎によるあたたかみのある黄色味を帯びた白磁が作られるようになりました。そのアイボリーホワイトは“牙白”とも呼ばれて珍重され、定窯最大の特色ともなっています。器を逆さに伏せて焼く覆焼技法によって、ゆがみの少ない薄手の端麗なものも焼かれるようになったようです。

その人気故に後代に色々他所の窯場でも写しものがつくられ出回っている定窯ですが、少し青白磁っぽかったり、妙に真っ白だったりで、なかなか本物のこの“牙白”を見ることはできません。台湾・中国の故宮博物院にでも行かなければめったに見れない定窯を今回は存分に見ることができて幸せでした。特に、発掘されたままの破片や、焼きそこない、叩きつけて型にした台、等も展示されていて、作り手としては大いに勉強になりました。11時位~3時前まで都合4時間ぐらい観ていましたが、眼福、眼福、お陰で“CHAWANYA魂”にこれで少しまた火がつきました。


行きは“しまなみ海道”ルート、帰りは“明石海峡大橋”から徳島に渡り一周。走行総距離数697㎞也。


 

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