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二度目の巳正月(みしょうがつ) 
昨日5日は今月最初の“巳の日”に当たり、我が家では昨年暮れに他界した父の“巳正月”でした。

“巳正月”というのは、愛媛県の東予・中予地方&瀬戸内の島々を中心に四国地方(徳島の祖谷と高知の長岡にも伝わっているようです)にのみ伝わる珍しい風習です。

本来は、12月第1番目の巳の日から午の日にまたがる午前0時頃の真夜中に親族互いに口を開かないよう静かに墓参りをし、当日搗()いた柔らかい餅をワラを燃やして墓場であぶり、一切無言で千切り分けて食べる・・・このような風習でした。 

その年に亡くなった新仏さんたちの一足早いお正月です。厳密にはその年に亡くなって四十九日を過ぎた新仏さんたちと、昨年末に亡くなってその年の“巳正月”までに忌み明けできなかった(四十九日を迎えられなかった)仏さんたちのためのお正月。


南北朝の戦いに駆り出されていた伊予国の兵士団が、正月を前にして、敦賀で猛吹雪にあい多くの凍死者を出しました、“あとわずかで正月だったのに・・・”その霊を弔うために行われたのが始まり、とか、戦国時代この地方を治める武将・河野氏が戦を前にして、今度は生きて祝えないかもしれない正月を一足早く菩提寺で祝ったのが始まり、だとか、村上水軍の大将が戦で亡くなり、その亡骸を運ぶ行列が、大将の死を敵方に知られないように一言も発さず深夜粛々と行われた、その時の様子が慣習として残った、とか諸説は幾つかあるみたいなのですが、

巳正月を祝うことによって、死者の穢れを払い、本当の意味での忌明けとして、遺族がその年の不幸から立ち直り、新たな年を迎えるための一つのきっかけというかけじめとしたのでしょう。


我が家も2年続けての喪中の正月であったわけですが、ようやく来年から平常な正月に戻ります。
やっと喪が明けかけている、といったそんな感じでしょうか。

 

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