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グランドセイコー43999 
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こちらはグランドセイコー・セカンドの最初期モデル、グランドセイコー43999。ペットネームは“グランドセイコー・セルフデータ”。ファースト(初代)と違い、日付けも装備されて、風防はフラットでありながらも微妙な曲面に、力強いかん足(ラグ足)が特徴的です。一部の特権階級向けだった最高級品ファーストから実用性と耐久性を兼ね備えた高級品として、一般へも普及させようという考えに基づいた、諏訪精工舎製最後の手巻き式グランドセイコーでありました。

いまはもう時刻の識別もできなくなった父ですが、彼が長年愛用していた時計です。確か東京オリンピック(1964)の頃買ったモノではなかったでしょうか。ウチの親父は、不思議なくらい何事にも“好き嫌い”を言わない人で、特に服などは、下着から上着に至るまで全て母任せ、一切自分の好みを言うような人ではなかったのです。いえ、ファッションの好み等というもの自体無かったのかもしれません。父が自分で買うモノといえば、履物と乗り物くらいのものだったような気がします。

そんな彼の買い物の仕方というと、「一番ええ(=イイ)のを頂戴!」、大雑把に言うと、こういう感じの買い物だったと思います。といっても、横柄な態度でも物言いでもなくて、ただ単に“自分はこういうものには全く疎く見る目もないので、どれがイイモノなのか悪いのか分からない、また好みもあまりないので、プロのあなたが思う一番を選んで教えて欲しい”、とまあこんなニュアンスではなかったかと思うのです。今時デパートなんかで、こんなことをしていたらとんでもないモノをふっかけられかねないのでしょうが、時代だったのでしょうネ、当時は時計店も履物屋、自転車屋なども殆どお互いが2代3代前からの顔見知りみたいな商店街のお店ばっかりでしたから、こんな大らかな買い物もできていたのでしょう。こちらの家族構成やヘタすりゃ懐事情まで大体知っているような仲なので、この時もダイヤモンドをちりばめたロレックスなどは持ち出さず、当時最もセイコー社がこだわって作っていたこの実直で堅実な一品グランドセイコーを父に勧めてくれたのでしょう。当時の価格は2万7000円。当時大卒初任給が2万円そこそこだったらしいですから、現在の所得水準に対して換算すると、30万円弱といったところでしょうか。

1969年に世界初のセイコークオーツ腕時計“アストロン”が発売され、クオーツが時計の主流になる時代、1975年までのスイスとの過酷な精度競争の真っ只中、ただひたすら「スイス高級時計に追いつき、追い越せ!」と頑張っていた正にその時代、セイコーの持てる技術力を全てつぎ込んで精度にとことんこだわった、諏訪精工舎が作り上げた傑作品です。(当時セイコーは、グランドセイコーは諏訪工場、キングセイコーは東京・亀戸工場と、同じ会社内でも2つを競わせていたらしい

この父の時計、SEIKOの下に”Chronometer”と表記されていますが、これは、SEIKOの世界へのアピールでした。しかし、当時のスイス・クロノメーター検定と同規格とはいえ自社検定であったために、後に、スイスから物言いが付き”表記できなくなった”という事情があったそうで、1966年頃を境にグランドセイコーをはじめ、全ての機種から“Chronometer”の表記が無くなります。これは貴重な“Chronometer”表記入り、となります。

5年おき位で分解掃除には出していたようですが、汗も構わず毎日仕事場で付けていましたから、ダイヤル(文字盤)にはそれなりに日焼けや腐食が見られましたので、7、8年前に一度新しいダイヤルに交換しています。以前あった小さなAD(Applique Dial)マークがその時消えてしまったのが唯一不満ですが、裏の金獅子のメダリオンもまだまだ美しく、今でも日差5秒を誇っています。



少し補足しますと、1960年代、スイス・ニューシャテル天文台は「時計の究極の精度を競い、そのランク付けを行なう」クロノメーターコンクールを毎年、主催していました。このコンクールは45日間にも及び、エントリーした時計の数%しか合格しないという極めて厳しいものでしたが、セイコーは1964年からこのコンクールに参加、そして1967年、年々ランキング順位を上げていたセイコーはグランドセイコーをもって4度目の挑戦となりました。しかし、コンクール期間中に突如 腕クロノメーター部門のランキング発表が中止、後日公開された測定データによると、最高位は獲得できなかったものの、2位(1位はオメガ)、4~8位、とTOP10の内6個をグランドセイコーが独占(各メーカー、それぞれ100個位の個体をエントリーして競います)していたことが判明しました。そしてこの1967年以降、コンクールは開催されておりません。スイス時計界の体面保守のため、また、日本締め出しのためにとられた措置であったと言われているようです。これに発奮したセイコーはこの後、クロノメーター検定よりも更に厳しい「GS」規格を作り、これを自らに課すことでより一層の進化を遂げました。




 

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