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端午の節句 
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昨日は5月5日、“こどもの日”、昔でいう「端午の節句」。

元々「端午」は月始めの午(うま)の日という意味で、毎月あったものですが、“午”は“五”に通じることから毎月5日となり、中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになりました。奇しくも、午(うま)の月は5月にあたりますから丁度ピッタリだったというわけです。別名では菖蒲の節句とも呼ばれます。


「端午の節句」といえば、5月の抜けるような青空に元気に泳ぐコイノボリを先ず連想してしまいますが、本来なら旧暦の5月5日は、現在の六月初旬から中旬にあたり(今年は6月24日)、元々は梅雨の始まる時期の行事でありました。多湿な季節を、疫病などにかからぬよう無病息災に過ごせるように、また、田植えの時期にも当たるので、豊作を祈願する意味もあったのだそう。

剣のような長い葉と芳香を持つ菖蒲の花で邪気を祓い、奈良時代貴族たちの家では、薬草や香料を入れた薬玉(くすだま)を作って軒に吊るし、それにも菖蒲や蓬を結びつけ、季節の厄祓いとしていたのだそうです。本来は、子供のお祭りでも、男の子の成長を祝う日でもなかったのですね。

そして、時が鎌倉時代の武家政治ヘと移り変わってゆくにつれ、“菖蒲”が“尚武”に通じるということで、端午の節句を尚武(武を尊ぶ)の節日として盛んに祝うようになりました。この頃から、「端午の節句」が、勇ましい男の子の誕生と成長を祝うお祭りへと変化する下地ができてきたのでしょう。

桃の節句のひな祭りが全国各処で旧暦や一月遅れで行われているのに対し、この端午の節句はほぼ全国現在の新暦5月5日に統一されてしまった感がありますが、北海道や新潟県の一部(特に佐渡)、出雲、沖縄地方では、珍しく今も旧暦か一月遅れの6月5日に行われているらしいです。


私が小さかった頃、家にはコイノボリではなく、五月人形が飾られていました。幼稚園に上がる前から、幼稚園児の頃にかけてのその五月人形の記憶は鮮明に今でも残っているのですが、小学生以降の記憶は不思議と曖昧で、もしかしたら飾っていたとしても小学1、2年生くらい迄だったのかも知れません。姉の雛人形の方は、姉が嫁いだ後も時々出していたと思うのですが・・・・・・

金太郎や加藤清正なら分かります。でも、我が家のはなぜか“神功皇后と武内宿禰”の人形。応神天皇の母君であり、また、明治時代以前には15代天皇にも列されていた方ですが、五月人形になぜ女帝だったのか、今でも少し疑問です。

 

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