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馬蝗絆(ばこうはん) 
馬蝗絆  馬蝗絆・裏


日本には現在、国宝に指定されている焼き物が14点(内・国産5点)ありますが、そのうち8点が“茶碗”です。このように(6割近く)、我々日本人にとって“茶碗”とは、格別の思い入れを持つ器のようです。

歴代の数ある名碗の中から、1つだけ私の好きな一碗をと聞かれたら? 躊躇無く私はこの“馬蝗絆”を選びます。30年前 私がこの道に踏み込んだ当初から、この思いに変わりはありません。残念ながら、国宝ではないですが重要文化財になっています。

12世紀、平重盛が南宋・浙江省杭州にある仏教の聖地“育王山(いおうざん)”に3000両の黄金を喜捨した際、その返礼として長老・仏照禅師から贈られたものと伝わっています。有名な南宋・龍泉窯の砧青磁の名品です。釉薬の中に含まれた僅か2%ほどの鉄分が還元炎で燃えることで、青く発色します。

その後15世紀室町時代、将軍足利義政が所持するところとなりましたが、底にひび割れが生じたため、中国に送り(入明する禅僧に託し)これに代わるものを求めたところ、当時の中国()にはもはやそのような名品はなく、6個の鉄の鎹(かすがい)でひび割れを止めて送り返してきたといわれています。この鎹を大きな蝗(いなご)に見立て、“馬蝗絆”と名づけられました(中国語で「蝗絆」はヒルとする説もあり)。

普通、焼き物は、漆や膠(にかわ)を糊代わりにして目立たないよう直しますが(日本には金継ぎという敢えて景色とするものもありますが)、これはわざと目立つ大きな鎹を打ち込んでいます。もう二度とこのような美しい青磁器は作れないということを強調する意味も多分にあったのではないかと思います。

室町時代の日本には中国にも残されていないような優れた青磁器が伝えられていたという事実、そしてその美意識を日本と中国の両国が共有していたという感慨、こういう伝世がいっそうこの茶碗に大きな付加価値を与えました。

足利将軍家以降、吉田宗臨(角倉家の2代目・足利将軍家の家臣)に伝わり、そして長く角倉家(角倉了以で有名)に伝えられ、その後室町三井家(三井十一家の一つで茶道具の収集では特に有名)に伝わります。三井財閥の三井高大氏から1970年東京国立博物館へと寄贈されました。


高さ9・6㎝、口径15・4㎝、高台の径が4・5㎝、もっとも単純な表現でありながら極めて完成度の高い姿かたち。
危うい位の薄さなのに、決して冷たくはなく、むしろ少し暖かみさえあるような、優美で別格の気品が漂っています。

もちろん私はまだ、東山御物展のガラスケース越しとか写真でしかこの茶碗を見たことがないのですが、不思議と幾度も手にしたような錯覚に陥ります。びっくりするほどの手取りの軽さや、凛とした乾いた緊張感も実感できるほどに、それほど私の心象にぴったりシンクロしてやまない茶碗 - “馬蝗絆”です。



 

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