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釈尊・Ⅱ 
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大ざっぱにいうと、釈迦の教えは、縁起えんぎ)、四諦したい)、八正道はっしょうどう)この3つから成り立っているといわれています。そして修行姿勢の根幹として、“中道ちゅうどう)”という考え方があります。

中道の“中”は“苦”と“楽”、“有る”と“無い”、等、相互に対立し矛盾する二つの極端な概念に“偏らないこと”で、“道”は“修行”を意味します。


29歳で、将来の王の座、妻子、全てを捨てて出家した釈迦は、出家僧として想像を絶する苦行の数々を行いました。当時のバラモン教やヒンドゥー教では、多数の死者を出すのも当たり前程の荒行の数々が行われていました。日常の常識や概念を遥かに超えたところに真理があると考えられていたのです。2ヶ月の断食の後、苦行に疑問を感じていた釈迦は中途で苦行を止め、ネーランジャラーという河のほとりの樹の下で疲れ切った体を休ませていましたが、半死半生のボロボロだった釈迦を救ったのは、樹下に静かに坐る釈迦を見て樹神の化身と思い込んだ村の少女スジャータが差し入れた一杯のミルク粥でした。当時、荒行に入った修行僧が食べるのを許されていたものは水と木の実・わずかな穀物だけでしたので、釈迦はその禁を破ったことになります。まさに生き返った心地の一杯の乳粥、そして考えました。極端な偏りからは決して何も生み出されないのではないかと・・・・・・

スジャータの乳粥で心身ともに回復した釈迦は、近隣の森の大きな菩提樹の下に座り、そのまま静かに瞑想に入り、ついに7日後(21日後説もあり)悟りを得たといわれています。

王子時代の華美で贅沢な暮らし、生死も左右しかねないほどのギリギリで過酷な苦行、そのどちらにも釈迦の心を安らげるものはありませんでしたが、この少女が差し入れた一杯の乳粥を飲んだ瞬間に、彼の中に大きな閃きの衝撃が走ったようです。それが、この“中道”。


中国の思想“中庸”としばしば混同されがちですが、“中庸”の“中”は中道の“中”と同じく“偏らないこと”ですが、“庸”は“易”の反対語で“変わらないこと”ということなので、“極端に偏らない修行”という意味の“中道”とは少しニュアンスが違っているようです。


今日は先ず第一の“縁起えんぎ)”についてですが、
釈迦は、全ての物事には原因がある、と考えました。そして、原因だけでは結果は生じないとして、直接的要因(因)と間接的要因(縁)の両方がそろった(因縁和合)ときに初めて結果はもたらされると考え(因縁果)、この一連の流れを“縁起”名づけました。この縁起と呼ぶ法(真理)によってすべての事象が生じており、「結果」も「原因」もまた、そのまま別の縁となって、すべての事象が相依相関して成立してゆくとしました。


この縁起もまた、因果応報としばしば混同されます。因果応報とは、「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」とする考え方、信仰で、つまり、過去生での行為によって現世の境遇が決まり、現世での行為によって来世の境遇が決まり、それが永遠に繰り返される、という世界観です。もともとインドでは、バラモン教ヒンドゥー教において広く、業と輪廻という考え方があり、そこからきたもののようです。

しかし、本来釈迦は、そういうことは言っておりません。そもそもすべてが無常であり無我であるという考えにたどり着いた釈迦が、因果の存在を認めることなどはあり得ないと思うのです。釈迦が言おうとした縁起というのは、規則的な時間の経過における因果などでは決してないもので、もっと重層的で複雑、人知の及ばぬものが縁起だというのです。そして、この人知の及ばぬ縁起の法を明らかにして知ることが、イコール解脱であり涅槃である、ということらしいです。

仏教が目指す悟りの世界というものは、因果応報、六道輪廻の領域を、むしろ超えたところに開かれるものだったようです。結局は、過去、未来のためを思って今を生きるのではなくて、今の自分の本心に深く正直に向き合って、一生懸命に今を生き抜くということに他ならないのではないでしょうか。

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