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巳正月 
昨日12月28日は巳の日、母の墓参りに行ってきました。
といっても、本来は12月4日の第1巳の日でありました、今となっては後の祭り・・・

愛媛県、特に東・中予地方には、巳正月(みしょうがつ)と呼ばれる独特の習わしが残っています。
いわゆる、その年に亡くなって四十九日を過ぎた新仏さんたちの一足早いお正月です。

12月に入った最初の(2番目説もある)巳の日にお正月を迎えるということで、前日の辰の日の真夜中に近親者でお墓参りをします。辰から巳の日に変わる真夜中に行われていたので、東予部では別名“たつみ”とも呼ばれていますが、島諸部や中予地方では1日遅い巳の日から午の日にかけて行われるので“巳午”(みんま)とも呼ばれているそうです。

夜中に墓参りをし、墓には反対にねじって左縄としたシメ縄で墓飾りをし、ウラジロを表向きに敷いて、餅やミカンを供えます。そして当日ついたお餅をワラを燃やして墓場であぶり、一切無言で千切り分け食べる - というのが、正式な昔の慣習だったようです。・・・が、気の小さい私が夜中の墓地に行けるわけもなく、ポカポカ陽気の丁度正午頃、花だけ持って普通の墓参りをしてきました(しかも日にちも間違えて・・・)。

巳の日に真夜中墓詣でをし 搗き立ての餅を食べる、というとこまでは昔聞いたことがあって知っていたのですが、最後の巳の日と思い込んでおりました。まさか第1番目の巳の日だったとは・・・・・・(T_T)

こういう行事ごとを人一倍大事にする母でしたが、ごめんなさい、まぁ、不信心なこの私目らしいと、平にお許しください。
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ということで、我が家は喪中につき、次回新年のご挨拶はいたしませんが
皆様どうぞ、よいお正月をお迎えください。


巳正月、いわれは諸説色々とありすぎて、よく分かりません。なんとなく、最初の話が私は好きです。

南北朝の戦いの頃、戦いに駆り出されていた伊予国の兵士団が敦賀・木の芽峠の辺りで猛吹雪にあい多くの凍死者を出しました。その知らせが届いたのが丁度12月の最初の巳の日(場所により、知らせの届いた日に1日の違いが出来たようです)であったそう。もう少しで共に新年が迎えられたのに・・・この優しさが全国でも珍しいこの風習を残した。

戦国時代,高縄半島を中心に勇猛を誇った武将(河野氏)たちの出陣の祈りで,生きて祝えないかもしれない正月を一足早く12月の巳の日に 菩提寺で祝ったという説。
秀吉の朝鮮出兵の帰途,高浜町の海岸で,戦死した兵士を弔うために餅をつき,それを朝鮮に向けて供え,後で皆が竹に餅をさして食べた慣習が残った、という説。

村上水軍の大将が戦で亡くなり、その亡骸を運ぶ行列は、辰から巳にかけての深夜、大将が亡くなったことを敵方に知られないように、一言も発さず粛々と行われた。その時の様子が慣習として残った。

南北朝時代、中国・四国地方の総大将として赴任していた脇屋儀助(新田義貞の弟)が伊予国府で病死した時、その死を北朝方に悟られないように隠して葬儀をしたことに因んだ。
(お墓が我が家の近所にあります)

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